栃木県実業団剣道連盟 みんなの掲示板 99145


鎬のつかいかた②

1:松村司朗 :

2024/04/29 (Mon) 18:16:14

いつもながらのことですが、茂呂理事長さんの見事なまでの的確な応答と説明、その後を私はどう書き込もうかと思いあぐねています

それと、一週間前の私の投稿について、何件かの見解、解釈、質問などもDMで多く届いています

それで、それらの具体的な「鎬づかい」の私のコメントは、どうしても多文量になってしまいます なので、今回②は「鎬」にまつわるエピソードのようなことを、とりあえずは私の剣歴を踏まえながら、読み物風・随筆風(?)にダラダラと紹介していくことにします 

いよいよ、連休に突入しました 例年ですと、剣道と居合道の演武・八段審査とほぼ一週間、30年ほど休まずに京都大会でした が、コロナ禍以来、4年間ほど行っていませんし、今日は月曜日ですが連休中です みくら会館の稽古はお休みです
なので、徒然なるままに、今回の投稿は「鎬のつかいかた②」としてプロローグ(前口上)、「鎬と人との絆」をお話しするわけです
この後の③からは、ずっと⑩ぐらいまではキツキツの文章が続くものと覚悟していてください(半分冗談です 笑)

たまたま、昨日(4月28日)は、ユーケー武道館で県剣連主催の居合道講習会と全国大会等の県代表選手選考会でした
 
講師は全国でも珍しい本県の女性剣士・広瀬美智代ハ段(五月六日の県剣道大会で居合道式典演武をなさる予定だそうです)
私は主任選考員をつとめてきました
その中で、剣道の高段者でもあり刀法の専門家でもある方々とも「鎬のつかいかた」について話題となっていました(詳細は③以降で)     また、剣道八段・居合道五段の川股先生の鎬づかいの話題も出ていました
そしてまた、たまたまですが、茂呂理事長さんの書き込み最後の部分で触れられていた菅波一元先生(範士八段・享年77才)と私との日光大会での日本剣道形の式典演武(紋付き姿・菅波先生は当時教士七段・私はあごひげボーボー)の写真も見れて、懐かしく偲ぶことができ、奇遇でした
もう30年ほど前のことですが、菅波先生からの申し出により、日光大会剣道形演武の事前「打ち合せ」(鎬のつかいかた)を、宇大剣道場で丸一日かけて汗だく、ケンケンがくがくとしたことを昨日のように思い出しています

ところで皆さんは、菅波先生とほぼ同年代の恵士孝吉先生という方をご存じでしようか 名前ぐらいは聞いことがあるのではないでしょうか
全日本選手権(1961)の準決勝戦、対伊保清次先生(大巨漢、後に警察大学教授)、そして都道府県対抗(1972)の準決勝、対川添哲夫選手(高身長上段、学生時代に全日本選手権覇者となり、若くして列車事故で亡くなった超有名選手)との片手上段での名勝負(その映像はユーチューブでも見れる)、
戦後の剣道界屈指の名選手、名指導者(小さな巨人、身長157㎝、六段のまま)、スーパースターの恵土先生が、なんとちょうど今からー年前(令和5年4月21日)にお亡くなりになられています(享年83才)
恵土先生とは、長年、剣道研究、稽古、酒飲み、剣道談義といろいろとご一緒し、懇意にさせていただきました(私との共著『詳解 剣道の新ルール・審判法』など) 体格、性格、考え方、剣風は、まったく私とは違っていましたが…
「鎬のつかいかた③」以降で、そのあたりを当時の金沢大学恵土先生、埼玉大学塩入先生、福岡教育大学角先生らとの合宿交流をまじえてのお話ししていこうかと思います

一方、この「鎬」にちなんだ私自身の剣歴について、もう少しお話しさせてください
私は二十代半ばあたりから、国立(宇都宮)大学で、教育学部の教員として、武道教育の意義と方法についての研究と実践を40年間やってきました(10年前に定年退職) 特に「剣道の文化性」と、「動作・技(身法・刀法・鎬)の言語学(表現方法)」に関心を寄せてきました
剣道についてのめぼしい戦績はほとんどありませんでしたが、縁あって学生時代の剣道恩師中野八十二先生の勧めにより(先生の日本剣道形 武道学科授業での助手のような立場であったこともあって)、20才の時に東京駅まん前の三菱道場で始めた居合道については、全日本の大会に栃木県代表で出場し、全日本居合道大会で七段の部個人三位に二回なっています
そんな中で、40才のときに、当時の栃県剣連会長堀内先生、そして当時理事長であった粕田先生からかなり強引に二部の大将(副将は栃県剣連現副会長の横山先生)として国体に出場しろとの命令がありました 私はそのころ、剣道と居合道の稽古はほぼ毎日していましたが、剣道の試合には出場したことがありませんでした なので、北海道国体の本戦前はかなりのビビリ状態でした その不安と迷いの状態に励ましの言葉をくれたのは、大学剣道部時代の同期生、折ロ築君(信州大学教授)でした「お前さんは、居合の試合なら強い 居合のように、軸をずらさず、『鎬』の利いた日本刀のように竹刀を使って試合に臨め」と で、本戦第1回戦はなんと開催県地元の北海道大将戦となり、なにがなんだかわからないうちに栃木県が勝ち名乗りを上げたのでした どうも、大将延長戦となって私がお相手さんの竹刀を私の『鎬』で打ち落とし・巻き落として反則二回で私が勝ったらしい そんなこんなで、あれよあれよと、決勝戦までいってしまいました
その翌年、全日本東西対抗戦に東軍の選手として出場するという栄誉を得 しかも西軍のお相手さん高橋俊昭選手(現在 京都府警主席師範 範士八段)に30秒以内で面の見事な二打ちで私の勝利…(あぁぁ~ッ まずい 自慢話っぽくなってしまいました…)

話を「鎬」に戻したいのですが、スマホで文字を打つのに、疲れてきました 続きは後日の投稿③にします 楽しみにしていてください(いや、楽しい話であるはずもありませんが)

長々とお付き合い、ありがとうございました
誤字・脱字・駄文、多々あろうかと思いますがお許し下さいませ
      松村
 

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